北田千尋(きただ・ちひろ)選手は、女子車いすバスケットボールの選手として活躍しています。
2024パリパラリンピックでは日本代表に選出され、チームのキャプテンを務めることになりました。
車いすバスケの選手と聞くと、歩行が難しい選手ばかりのイメージがありますが、実際には”短い距離”や”ゆっくりなスピード”なら歩ける選手もいるようです。
今回の記事では、北田選手の歩行についてや、車いすに乗ることになった理由について、調査しました。
北田千尋は歩ける!
北田選手は、先天性股関節脱臼の影響で、幼少期より痛みと付き合いながら生活を送ってきました。
また、進行性の末梢神経障害である多発ニューロパチーを患っているため、徐々に手足などの筋力低下や感覚障害などが症状として現れてしまいます。
現在は、短い距離なら歩くことができますが、外出時は安全のためもあって車いすを使用しているそうです。
家の中では筋力維持のためできる限り歩くようにしているとのことですので、必要に応じて使い分けているようですね。
車いすバスケの選手は、それぞれの障害のレベルに応じて、持ち点が定められています。
- 最も障害の重い1.0点~最も障害の軽い4.5点まで、0.5点刻みで分かれている
- コート上の5人の合計点は、14点以内にしなければならない
北田選手は最も障害の軽い4.5点のため、積極的にボールに絡み、攻守の中心となることが期待されています。
ポジションはパワーフォワードのため、ゴール付近でのプレーを中心としていて、身体の接触も多いポジションのようです。
世界屈指のスピードと得点力を活かして、パリパラリンピックでも活躍してほしいですね!
北田千尋と車いすバスケの出会いは?
北田選手は、中学校で幼なじみと一緒にバスケットボール部に入り、バスケをはじめました。
競技としてのバスケに魅力を感じる一方、足の痛みで思うように体を動かせないことにもどかしさを感じていたようです。
バスケ部のない高等専門学校に進学しましたが、心残りがあったため、なんとバスケ部を創部しコーチとして指導をするようになりました。
10代の学生なのにも関わらず学校に掛け合うとは、すばらしい行動力ですよね!
高専3年生のころには退学し、指導者を目指して体育系の大学に入学しました。
そして大学3年生のときに訪れたインターンシップ先で車いすバスケに出会い、車いすに乗れば「走れる」ことに魅力を感じ、競技者として車いすバスケをはじめることになりました。
一度はあきらめた選手の道に戻ることは、大きな喜びだったようですね。
北田千尋の所属チームや戦績
車いすバスケの魅力にのめり込んでいった北田選手は、持ち前の行動力を生かして男子チームやオーストラリアのチームにも参加し、実力を伸ばしていきました。
北田選手が参加したことのあるチーム一覧
- 男子チーム「北九州足立クラブ」
- 女子チーム「九州ドルフィン」
- 関西の強豪女子チーム「カクテル」(現在も所属)
- オーストラリアの女子チーム「Be Active Western Stars」
- オーストラリアの男子チーム「Be Active Perth Wheelcats」
日本選手権では優勝6回、個人としてもMVPを4回獲得するなど、すばらしい戦績を残しています。
2011年からは日本代表にも選出され、2021東京パラリンピックではチーム最多得点を記録しました。
2024パリパラリンピックでは、注目選手として、そしてキャプテンとして、チームを引っ張っていってほしいですね。
北田千尋のプロフィール
本名 | 北田千尋(きただ・ちひろ) |
生年月日 | 1989年1月12日(2024年現在35歳) |
出身地 | 和歌山県 |
SNS | X(旧:Twitter) |
Xでは、愛猫「ふぅさん」との日常もたくさん投稿していますので、癒されたい方はぜひ見てみてくださいね。
LINEスタンプも販売しているようです。
毎日練習やトレーニングで一生懸命な北田選手の、心の支えになっているのでしょうね。
おわりに
今回は、女子車いすバスケの北田千尋選手について、まとめてみました。
熱い情熱をもっている選手ですので、応援したくなりますよね!
パラリンピックでの活躍を、応援したいと思います。